拝啓 時下益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
児玉画廊(白金)では4月6日(土)より5月18日(土)まで、木下理子「空気の底」を下記の通り開催する運びとなりました。児玉画廊では初紹介、初個展となります。
木下の作品は、身近な素材を用いた立体、あるいは、インスタレーションのような空間的な提示がなされます。空間に寄り添うように置かれる作品は、宙空に点と線をつないで絵を描いているかのようでもあります。木下は自らの作品をその形態の如何に関わりなく「ドローイング」と呼び、「世界から受け取ったイメージの発露」あるいは「先の予測ができない、遊びをもたせた行為」なのだと述べています(個展「遊びと星取り」ステートメント, 2018年)。ものの形とイメージを掴み、それを表出するという行為と現象において、木下のそれは素材や形態を問わず、「描く」ことに最も近い、ということを直感的に認知しているのでしょう。「ドローイング」という言葉に想起される、即興的で開放的な素朴さは、確かに木下の作品の表層に共通してある飾り気のない美しさとも重なります。麻紐、アルミホイル、針金、紙、ビーズ。作品を前に目に留まる素材を挙げていくと、他愛のないものばかりで、誰しも一度は触れたことのある素材が並びます。その親しみやすさからか、自ずと作品と見るものの心理的な距離が近くなり、そして何より見るだけでその手触りが伝わってくるような気さえします。木下の作品は、このある種の「近さ」を大切に扱っているように思えます。
木下が作品を発表するごとに記してきた制作ノートには、「通常では捉えることのできない何か」「クシャクシャの紙くずから別の次元を発見する」「未知なるものを知る為の新しい計り」等々、知らないものや知り得ないことに対するアプローチについて様々に思考している様子が伺えます。もちろん科学や数学がその対象についての指標を正確に示すことはできるのかもしれません。しかし、木下にとって知るということが前述の「ドローイング」的な知覚、つまり「世界から受け取ったイメージ」を「予測のできない」ことも含めて受け入れることなのだと読み変えたとすると、木下の作品は物理的な現象とは別の道を辿って世界を知覚する試みなのだと言えます。その点において、木下の作品の中にある「近さ」は重要な要素となっているように思えます。自分と世界の距離が数字や概念的な指標を挟まずに、直接的に触れて結ばれていくような感覚、換言するなら木下の作品制作は物指しを使わずに手の大きさで距離を測るような行いなのではないでしょうか。その「新しい計り」たる依り代を身近なものの中に求めるというのは理解し易いことです。「ドローイング(drawing)」とは引き寄せることの意を元に含んでいます。世界を、広すぎてもはや捉えきれないような対象を、一旦自らのスケールにあった「近さ」まで引き寄せること、そこに木下と世界と「遊び」があるのです。
空を見上げて、空気の塊を頭上にその最も底に生きている自分を想像した途端、普段は感じることのない空気の見えない重さと量に圧倒されてしまうかもしれません。何かを知り、理解しようとするとき、その方法一つでその何かは様々に姿を変えます。今回の個展に向けて「罠のようなもの」と作家は言葉を寄せていますが、その罠のような作品から、作家同様に「未知なるものを知る」ことができるでしょうか。
児玉画廊(白金)の特異な空間造形と語らうようにな展示構成、並びに新作のアルミテープを線描として扱ったペーパーワークなどを展観致します。
つきましては、本状をご覧の上展覧会をご高覧賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。
作家名: | 木下理子 (Riko Kinoshita) |
展覧会名: | 空気の底 / At the bottom of atmosphere |
会期: | 4月6日(土)より5月18日(土)まで |
営業時間: | 11時-19時 日・月・祝休廊 |
オープニング: | 4月6日(土)18時より |