Kodama Gallery | Tennoz
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ご案内
関係各位
拝啓 時下益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
児玉画廊では3月5日(土)より4月9日(土)まで、糸川ゆりえ「Moment」を下記の通り開催する運びとなりました。是非ご高覧下さい。
展覧会名:
Moment
出展作家:
糸川ゆりえ
会 期:
3月5日(土)より4月9日(土)まで
営業時間:
11時-18時 日・月・祝休廊
オープニング:
無重力的交歓––––糸川ゆりえ「Moment」に寄せて
菅原伸也(美術批評・理論)
糸川ゆりえの絵画には不思議な無重力の感覚がある。そこでは人やボートはあたかも重力の影響を受けずに浮遊しているかのように見える。それは、ボートが水に浮かんでいたり人物が水中で漂っていたりするので浮遊しているように見えるといった単純な話ではもちろんなく、絵画の空間構成の問題にこそ関わっているのであって、そもそも水のモチーフが頻出するのもそのことに関係しているのである。
糸川の作品では、若い女性といったメインとなるモチーフは、その背景とすぐに見分けることが難しい場合が多い。ヴュイヤールやボナールといったナビ派を思い起こさせるやり方で人物と背景とが混ざり合っていて、画面をじっくりと眺めることでようやく人物の姿が立ち上がってくる。すなわち、そこでは図(人物)と地(背景)とが判明に分割されていないのである。そこでは、人物と背景とが完全に切り離されてしまうことなく、人物の一要素が、背景のなかにある別の要素と呼応し合うといったかたちで関係を結ぶこととなる。
糸川の絵画はしばしば具象と抽象のはざまにあると言われるが、そうした図と地との関係性が糸川の絵画に抽象性を与えていると言えるだろう。メインモチーフである人物は、自らの輪郭線を超え背景にある別のものと結びつき、色や形はある閉じた具体的形態を表現することから完全なる自律性(抽象)ではなくちょっとした自律性を獲得することとなる。本来、図と地といった関係においてはあくまでも図がメインであって、地はその背景として図を引き立てる役目を果たすのみであり、両者のあいだには明確なヒエラルキーが設定されているが、糸川の作品においては図と地は互いに浸透し合っていて、主従の役割を割り当てられることなく等価に近づいている。そのような人物と周囲との結びつきや交歓が、無重力感、浮遊感を生み出しているのであり、水というモチーフがしばしば用いられるのもそうした関係性を描くのに有用であるからだろう。
同じことを別の観点から考えてみよう。絵画を層の重なりとして考えるならば、図は手前の層、地は奥にある層として理解することができる。だが、糸川の作品では、人物はしばしば半透明であり、下の層は完全に覆い隠されてしまうことなく透けて見えるようになっている。そのようにして、すべての層は単純に上下関係に区別することができなくなり、水のように半透明となって互いに浸透し合っているのである。
糸川の作品に四方から囲まれながら、それらの絵画のなかで溺れるようにして人物とその周囲との無重力的交歓を味わうこと。それは糸川の個展に実際に足を運ぶことによってしか可能にならないであろう。