PRESS RELEASE

Kodama Gallery | Tennoz

ignore your perspective 58

不時着アブダクション

       

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ご案内

関係各位

拝啓 時下益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
児玉画廊では7月17日(土)より8月28日(土)まで、ignore your perspective 58「不時着アブダクション」を下記の通り開催する運びとなりました。是非ご高覧下さい。

記 :

    展覧会名:

    ignore your perspective 58「不時着アブダクション」

    出展作家:

    伊阪 柊 / 久保ガエタン

    会 期:

    7月17日(土)より8月28日(土)まで

    営業時間:

    11時-18時 / 金曜日のみ11時-20時 日・月・祝休廊

    オープニング:

ignore your perspective 58「不時着アブダクション」に寄せて

大下裕司(大阪中之島美術館学芸員)

 「不時着アブダクション」と題された本展で、出展作家である久保ガエタンと伊阪柊の両氏が着目したのは、会場である児玉画廊のある天王洲上空を通過する、通称「羽田新ルート」であった。これは訪日外国人観光客の増加を見込み、空港の処理容量拡大を目的として2020年3月29日より運用されている。南風の吹く15時から19時のうち3時間程度の運用として、天王洲アイル上空を毎時約30便が通過していく。国土交通省による2019年の発表時の段階で、騒音対策のため飛行機の到着経路における降下角は3.45度となり、パイロットにとって世界一着陸の難しい空港になると言われてきた。東京都心の真上を飛行するということは、そこに生活する人々の頭上を飛ぶこととなり、計画が発表されたころから運用後一年以上たった現在まで、騒音や落下物への不安の訴えは続いている。今この展示が開催されている児玉画廊の高度約1,500ft、約450m上空を飛行機が掠めている。
 伊阪柊は、以前にも《The Sprite(雷/蕾)》(2021)でこの羽田新ルートを取り上げている。この時、伊阪は通常「線」で示される飛行ルートではなく、そのルートの周りの空間をまるで建築物のような構造として切り出して見せた。皮肉にも脱構築主義的なスタジアムを思わせるような造形をゲームのアプリケーションを用いてシミュレーションし、アラスカ州に設置された高周波活性オーロラ調査プログラム(通称:HAARP)なども絡めながら、SF映画のような語り口で様々な仮説を描く。この映像中に登場するHAARPが、巨大地震を引き起こしたとする陰謀論者もいるほど、何かに結びつけたくなるほどの不穏と、「分からなさ」が憑りついているようだ。
 一方、久保ガエタンの作品にはこれまでにも、《世界は音で満たされている》(2020)などで、音や振動の近現代史に着目し、《聞こえないけど聴こえてる》(2020)と名付けられた「電気ナマズ式地震予知装置」など、地震を科学的に捕えようとしてきた人間の営みに触れてきた。ナマズが地震と結びつくという「信仰」は、高度な科学分析がある現代からみて、ともすれば非科学的なものである一方で、地震をなんとか理解したいという点においては通ずるものを見つけることもできるだろう。また久保は天王洲という名の由来にも視線を向ける。天王洲と呼ばれる前の1751年、江戸前の海であったここに牛頭天王の面が「漂着」する。この面は漁師の網によって引き上げられることで神面となった。展示室内のオブジェクトが意味するところを、この歴史から考えることもできるだろう。
 しかしながら、リサーチの発表などではないこの二人展の本質的な部分は、そうした天王洲の前景や現在には充たらない。羽田新ルートの世界一危険な飛行ルートはなぜこのように私たちに「不安」を与えるのか。また、HAARPのような得体の知れなさが生む不穏さは、なぜ陰謀論者に好まれるのか。なぜナマズは地震と結びつけられて信じられたか。なぜ牛頭天王の面は到来したか。これらに問いとして向かい合うと、そこには多数の論はあれど、正解となる回答はないであろう。作品の制作を、作家のアイデアをメディウムに転写することであるとすれば、その形相は、上述のような問いにあるわけではない。羽田新ルートを飛ぶ飛行機を見ながら、「この飛行機がここで不時着したら…」と思うその心そのものは、私たちの恐怖が掻き立てる想像でしかないかもしれないが、その想像は嫌というほど具体的であり故に恐怖として、私たち一人一人の手元にあるものだ。それはもちろん、私たちが直接体験し、あるいは映像や写真、人づてに写し取った、「こうなるかもしれない」という推論を実在的にするものでもある。そうした可能態を恐れるとき、それを認識して恐れているのではなく、そもそもその可能態が在ることそのものに怯えていることを知る。科学的な分析の目的は、発生する現象を紐解き、理解することにある。だが、この恐怖は私たちに無を思わせるがゆえに、どのように明確でなくとも私たちを不安にさせる。
 あの飛行機は不時着しないかもしれない。というか確率で言えば殆どしないだろう。飛行機の墜落事故で死ぬ確率は0.0009%らしい。しかしそこを飛んでいる飛行機が今ここにやってくることはできる。重要なのはこのことについて「でも0%ではない」とすることとは別の形で、作品が在るということだ。それは別に飛行機でなくても構わない。そんな風に思えてしまうということの想像力は、陰謀論者の愛するものとどう違うか私たちはたぶん分かっているだろう。久保ガエタンと伊阪柊は、それぞれの手法で四次元のうちにパレイドリアを見出している。

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