PRESS RELEASE

Kodama Gallery | Tennoz

ろ過装置

       

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ご案内

関係各位

拝啓 時下益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
児玉画廊では7月18日(土)より8月29日(土)まで、大久保 薫「ろ過装置」を下記の通り開催する運びとなりました。是非ご高覧下さい。

記 :

    展覧会名:

    ろ過装置

    出展作家:

    大久保 薫

    会 期:

    7月18日(土)より8月29日(土)まで

    営業時間:

    11時-18時 / 金曜日のみ11時-20時 日・月・祝休廊

    オープニング:

大久保 薫「ろ過装置」によせて

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 何か、モチーフを机に置いてスケッチをしてみる。画集を開いて、模写をする。雑誌、テレビ、インターネットで、ふと気になったものを収集しておく。それらをもとに描いてみる。物の形態を目でなぞる。立体的な奥行き、仮想的な輪郭、描線をトレースする。具象画を描くとき、視覚は一度翻訳され、「見ているもの」を「知っているもの」として描く。いや、「知っていたつもり」「見ていたつもり」の物が、どのようなものだったのか、改めて「見る」過程でもある。

 大久保が描くのは、「具体的なモチーフ」を持つ絵だ。しかし一方で、それらのモチーフのことを作家は「あまり重要でない」という。これは、鑑賞者を謎に引き込んでみせるアーティストの甘言ということでは勿論ない。大久保には明らかに繰り返し描いているモチーフがある。たとえば男性の身体は頻出するモチーフだが、若くて逞しいというよりも、中年で、腹が出ているような場合が多い。そのように、関心があるモチーフがありながら、それでも作家が「具体的な場面」として作品を説明しないのは、鑑賞者がしばしばそこに「何が」描かれているかに関心を寄せすぎてしまうからだろう。物語が駆動するとき、人の感受性はより抽象的な場所に行ってしまい、「目は意識から遠くなる」。しかし作品の画面が、実際には「どのように」描かれているのかに意識を移せば、その芳醇さが途端に「見えてくる」はずだ。
 たとえば、背景が本棚であろうと、植物であろうと、一定の大きさを持った「色面のユニット」が画面を作る、そのリズムと、相互の色彩の響き合いの関係性が。あるいは肌の色が、現実にはあり得ない白黒の色味を使って、ときには金属光沢があるかのようにされ表現されるが、近づいてみるとその光沢が消え去り、意外にも乾いた絵の具の質感を持つことが。そして、それら一つ一つの要素が「具体的なモチーフ」というゲシュタルトを持っているからこそ、筆触の芳醇さは一層の味わいを増す。クリシェのように「美しい」とされる若さや女性の身体ではなく、体毛が伸びるがままに処理されず、だらしなく膨らみ始めた中年の男性の身体であろうとも、毛の密度の変化によって作り出している色調や質感の変化や、脂肪の内圧と重力の拮抗した膨らみが、絵の具の色調と、筆触の質感に翻訳されて表現されることで、その造形性が際立つ。空間の奥行きを見ようとする目で同時に、絵の具の筆触の微細な色調の変化を見るからこそ、色と空間性の相互の関係性が目の中に立ち現れてくる。
 さらにこの芳醇さは、「大画面を描いてから縮小して描く」という驚くべき方法論によって濃縮されている。これもまた、画家の関心が飽くまでも「モチーフそのもの」ではなく「絵としての良し悪し」に向いていることを示すものだろう。
 この芳醇さは、「見ている」間にしか味わえないものである。許される限り、存分に見るべきだろう。

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