Kodama Gallery | Tennoz
For immediate release
ご案内
関係各位
拝啓 時下益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
児玉画廊では6月6日(土)より7月11日(土)まで、高橋佑基「Pin Point Petal」を下記の通り開催する運びとなりました。是非ご高覧下さい。
展覧会名:
Pin Point Petal
出展作家:
高橋佑基
会 期:
6月6日(土)より7月11日(土)まで
営業時間:
11時-18時 / 金曜日のみ11時-20時 日・月・祝休廊
オープニング:
高橋佑基「Pin Point Petal」 によせて
gnck
作家というのは往々にして(そして才能ある作家ならばなおさら)、独特の言葉使いで話をする。それは「突飛な比喩」であったり、作品や現象に対しての感覚的な感触を、無理やり言葉に変換するが故の「擬態語」であったり、「擬人化」であったり、様々である。
元来、芸術家の使命というのは、この世に未だ存在しない美意識を形として生み出すことであり、そのためにはまだ誰も考えたことのない――言葉にしたことのない――作り出したことのない――ことについて思考する必要がある。それが外に溢れるのか、作家の内で渦巻くものなのかはともかく、作家の言葉使いは畢竟、我々が聞き馴染んだ概念の体系から外れた言葉が増えていく。だから、作家の言葉を聞くときには、それが具体的にどのような状況を思い描いているのか。どの部分は抽象的なコアイメージをもっているのか。そこに注意を払いながら、耳を傾ける必要がある。それでも時には、「やっぱりわけわからん」となることだってある。
高橋も、独特の言葉を使うタイプの作家だ。これまでも、物を配置したり、組み合わせたりするインスタレーションを手掛けてきたが、本展でも物が組み合わされた作品を出展する。作品は、インスタレーションという空間的な作品から、徐々に一つの自律した彫刻的な作品へと展開しているという。今回の作品についても、「オール」、「水面」、そして船とオールとの接点となる「金具(クラッチというそうだ)」の関係について関心をもち、作品を制作しているという。これまでも、作家は、「弓」のような構造で作品を制作してきた。弓と弦は、互いにテンションを掛け合うことによってエネルギーを溜め込み、そのベクトルを変換して矢を放つための道具だが、今回、オールと船体の「関わり合う」箇所としてのクラッチへの関心も、エネルギーが溜め込まれ変換される箇所として、作家の中では連続的なものとしてあるのだろう。「重いもの」としての水面、「軽いもの」としてのオールの作用反作用。それを変換し、進んでいく船体の、「最も負荷がかかる箇所」としてのクラッチ(話を聞いてみると、クラッチに負荷がかかり、「すり減っていく」様子にこそ、作家の注目は向けられているようだ)。
さて、このテキストを読んでから「答え合わせ」として作品を眺めても仕方あるまい。それではテキストと作品の関係が全く主従逆転だ。作家が話す言葉は、飽くまでも言葉で表現し得ない作品の構想を、どうにかたとえ話として語った言葉に過ぎない(「弓」→「船」という展開を、果たして言葉だけ聞いていてあなたは発想できただろうか)。むしろ作品から、日常の様々な場面のイメージや、あるいは、あり得べき作品(それは次回作かもしれないし、自分なりの作品かもしれない)の構想だって浮かぶだろう。それを言葉にしようと思えば、それはどうしようもなくたとえ話になることに気づくはずだ。そしてそれを誰かに話してみるといい。おそらく「わけわからん」と言われるだろう。