PRESS RELEASE

Kodama Gallery | Tennoz

Topograph / Toposcan

       

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ご案内

関係各位

拝啓 時下益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
児玉画廊|天王洲では11月22日(金)より1月18日(土)まで、高谷史郎「Topograph / Toposcan」を下記の通り開催する運びとなりました。是非ご高覧下さい。

記 :

    展覧会名:

    Topograph / Toposcan

    出展作家:

    高谷史郎

    会 期:

    2019年11月22日(金)より2020年1月18日(土)まで

    営業時間:

    11時-18時 / 金曜日のみ11時-20時 日・月・祝休廊

    オープニング:

    11月22日(金)18時より

高谷史郎「Topograph / Toposcan」によせて

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 撮影でなく”走査”であること。それによって、真実を写し取ると思われている装置の歪みを露わにすること。本展で示される高谷史郎の関心はそのようなものだろうか。本展には大きく、3種類の作品が出展されている。一つは映像。一つは写真。一つは正像が映り込む、特殊な物体だ。>
 我々は、写真や鏡について、それを絵画やCG、ときには自分のセルフイメージに比べてさえ、より真実らしい像であると考えている。その信念は我々が生きていく中では概ね正しい(そうでなくては、生活は立ち行かないだろう)のだが、しかし、写真の像が真の像なのかと言えば、それを「真」と呼ぶにはいかない歪みも見いだせるはずだ。本展の《mirror type K2》を覗き込めば、通常は鏡像で映り込む自分自身の顔を、正像で見つめることができる。ビデオのようなレンズやモニタを介さない、光の反射という純然たる光学現象を、徹底的に磨き上げたプリズムによって実現しているのだ。我々が鏡を使って自分の顔を覗き込むとき、その顔は鏡像である(双子の兄弟がいたとしても、自分自身の顔を見ようと思って鏡を覗き込もうとすれは、それは常に鏡像だ。つまり、双子の兄弟は、兄弟の顔については正像を、自身の顔については鏡像を認識していることになる)。人は通常、自分自身の顔については、鏡像しか覗き込むことが無いのだ。しかしながら、高谷のこのプリズムを用いれば、正像を見つめることができる。そこに映り込むものは、不自然なものや、不気味なものに映るだろうか。あるいは、今までの思い込みを取り払うような像だろうか。
 映像と写真の作品は、どちらも走査によって像を取得している。通常の写真の撮影の工程は、フィルムの手前をシャッターが降りる一瞬のうちに、レンズを介して得られた光の像がフィルムに焼き付いていく工程である。そのスピードが一秒の何百分の一の速度で降りるというなら、それは一瞬の像のように思える。しかしながらシャッターは上から下に移動していくため、実は像の中にもほんの僅かな時間差が発生している。高谷の”写真”には、その時間差はより顕著だ。高谷の”写真”は、空間を縦に走査しながら撮影しているために、レンズであれば奥に行くに連れて発生するはずの「横幅の収縮」が発生しない。結果として高谷の写真は奇妙な現実感が付与されたものとなるが、これは「加工」されたものではなく、飽くまでも現実から取得された一つの像であるという点で、通常の写真と相違ないものだ。
 映像作品では、より顕著に走査の持つ時間性があらわになる。映像の端の一列のピクセルが、時間とともに「固定」されていくことによって、走査が持つ時間の差異が明らかになるとともに、それが地層のように重なっていく。それだけでなく、映像の最初のピクセルもまた横に伸びる(これはたとえばGoogle Earthも、テクスチャの補完のために用いている方法論だが)ことにより、その先の像を「予期」している。つまり高谷は、走査の持つ時間軸の両端に、「未来への予期」と「過去の体積」を実現して見せているのだ。作品に映る「現在」の解像度は高い。しかし、積み重なる過去は現在のうちの僅かな部分であり、未来もまた、現在の先端からしか予期し得ない、と言うのならば、なかなか格好がついている。

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