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Yusuke Taninaka Have a Good Appetite

Press Release

拝啓 時下益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
 児玉画廊|東京では4月11日(土)より5月23日(土)まで、和田真由子個展「ハムレット」を下記の通り開催する運びとなりました。
 和田は、一貫して「イメージにボディを与える」というテーマに沿って制作を続けてきました。ここでの「イメージ」とは和田個人が見たり、考えたりすることで頭の中に形成した実体のない図像のことで、それに「ボディを与える」、つまり絵画なり彫刻なりの形で具現化するということです。それは作品制作の上では極めて当たり前のことであるように思えます。しかし、ここで和田が「ボディを与える」言うのは、ただキャンバスに描く、粘土をこねる、という手段のことを指しているのではなく、「イメージ」が頭の中にあるそのままの状態を現実空間に取り出す、ということなのです。これを理解するためには一旦、思い切って美術の既定路線から外れてみる必要があります。
 まず、最も重要となる「イメージ」については、触知できる物体ではないので硬さや、重さといった実感はあくまで和田の想像力に委ねられます。そして、どの程度まで具体的なディテールが和田の中で見えているかによって、一つの「イメージ」の中において存在感に強弱のグラデーションが発生することになります。例えば、「馬」のシルエットは明瞭に捉えていても、解剖学的な筋肉や骨格のディテールは曖昧であるとか、「鳥」の翼は羽毛の一つ一つまでは見えていないなど、知識としては知っていることでも、「イメージ」には必ず明瞭な部分と不明瞭な部分が共存し、さらにはその明瞭/不明瞭の度合いを強弱に置き換えて解析します。また、和田の特徴的な「イメージ」の捉え方として、頭に浮かぶあらゆるビジョンは常に平面的な見え方をしているという点があります。これは舞台装置の書き割り背景やPCモニターやテレビ画面の見え方と同じように、ある視点からの一方向の正面性のみで対象を捉えており、横に回り込んだ視線や背後の視点を同時には持ち得ない、ということです。和田の作品は、そのような「イメージ」上見えていないものや知り得ないことを知識や技術によって補完するのではなく、見えないなら見えないままで表現することに固執するのです。よって、和田の作品は過度に簡略化されているように見えたり、描写が不十分なように感じられる部分が散見されるのですが、簡略ではなく、「イメージ」の存在感の強弱を分析した結果、意図的に、否、そのように表現せざるを得ないということなのです。
 次に、「イメージ」を実際に具現化する方法について、煉瓦造りの建物という和田が好んで描くモチーフを一例にします。これも建築家でない和田には構造設計の細部までは厳密に「イメージ」できるわけではなく、レンガの目地や壁の重なり、ファサードの造り、屋根、窓、といった建物のおおまかな構造の寄せ集めとして一つの「イメージ」を形成しています。では「イメージにボディを与える」という命題に沿ってこれを具体化するにはどうするべきか。そこで、使用する素材/画材を意図的に選択します。はっきりと想起できる部分には板などの硬くて具体的な素材を、曖昧にしかわからない部分は透明ビニールや紙などの希薄な素材を使って、できる限り忠実に「イメージ」の形を模倣していくのです。煉瓦造りの建物であれば、ハードなベニヤ板を支持体に、煉瓦はニスや透明メディウムで一個づつをテープでマスキングしながら実際に積み重ねていくように明瞭に描いていきます。建物の床、奥の壁、左右の壁、正面の壁、屋根、といった建物の構造をレイヤー化して順に重ねていく様子はまるで建物を空間に組み立てるかのようです。 しかし、先述したように、空間的な構造把握ではなく、あくまで一面的な見え方、という立ち位置から作品を構成していくので、パースペクティブの演出(=絵画のイリュージョン)を用いることもなければ、その必要もありません。立体的な作品を構成する場合であっても同じ認識によって制作するため、ペラペラした書き割り構造に仕上がる上、最低限作品をその場に保持する最小の構造以外の物的補助を排するため、実際には想定していた形が崩れたり、厚みが足りずに倒れたり、という「イメージ」と現実の齟齬が生まれます。和田の作品の最大の観点は、この齟齬にあると言っても過言ではありません。和田の独自性の一つは、既定の美術様式にあてはめようとすればするほど「イメージ」の正しい描出はままならぬ、という問題提起をしている事でもあるからです。
 そして、和田の中で、この問題に対する仮定的解決として、絵画や彫刻というような美術の形式、あるいは、キャンバスやフレームといった構造的な規定を、全て「イメージの台座」と再定義しようとしています。そうすることで、平面や立体という概念的な枠組みに囚われることなく、あるがままの「イメージ」を表現する上で、これまで和田が過去作において表明してきたように、平面の中で立体構造を成立させる、あるいは立体造形としてのドローイング、というような回りくどい説明を不要にし、「イメージ」を「台座」に乗せたものが作品である、という定義の下に一元化しようというのです。
 今回の個展では「ハムレット」、言わずと知れたシェイクスピアの戯曲を作品のモチーフとしています。これまでも「ヘンリー六世」(“VOCA2013” 出展作)や「リチャード三世」など、同じくシェイクスピアの戯曲を題材としたものを制作しています。これは、文章によって想像した情景や、実際に舞台を見て記憶した場面などを想起しながら制作しているシリーズです。人物描写の巧さによって、登場人物のそれぞれがステレオタイプといって良いほど明瞭に書き分けられている存外陳腐な点もありながら、劇全体のドラマティックさと、要所のシーンを鑑賞者の心に深く残すシェイクスピアの悲劇演出は、和田の想像力を刺戟し「イメージ」を掻き立てる格好の材料というわけです。舞台は和田の「イメージ」に近い状況を現実的に見せている稀有な例でもあります。観衆は舞台に正対し、決して袖に回り込むことはありません。つまり、常に真正面から情景をとらえ、舞台という限られた奥行きの空間内に置かれた書き割りの舞台装置の助けを借りながら、情景の全てを想像しながら観劇するのです。これは和田が頭の中で描いている「イメージ」のあり方と多分に重なります。和田風に言えば、演劇もまた「イメージの台座」ということになるのでしょう。
 この演劇を題材とした一連の作品は、透明のビニールシートをキャンバス用のフレームに貼ったものを支持体として、透明のメディウムを塗り重ねることで描かれる透明な作品です。メディウムを複層的に塗布することによって、白色の半透明に薄ぼんやりと図像が浮かび上がる様子は、頭の中の情景とはかくありなん、と直感的に思わせます。しかし、和田の他の作品と異なり、マスキングテープを駆使した明瞭な輪郭でレイヤーを際立たせる見せ方ではなく、いわゆる絵画的な筆触によって、緩やかに絵の具の層を重ねています。キャンバス用のフレームが否応にも透けて見えることからも、鑑賞者が「これは絵画である」という認識から離れ難いように、和田が誘導していることが看取されます。和田があえて、一見これまでの主張と反するかのように「絵画」というフォーマットに回帰する見せ方を選んでいるのは、一つは、演劇(舞台および文字)というすでに「台座」の上にある「イメージ」を更に二次的に描出するには「絵として描く」という手段が理に叶うため、もう一つに、自ら絵画のティピカルなフォーマット上で「イメージの台座」という美術の再定義を実践するため、という二点の実験的アプローチを想定しているものと理解できます。
 戯曲「ハムレット」の冒頭、叔父の奸計によって暗殺された父の亡霊を前にハムレットは復讐を誓います。父の亡霊は「Remember me」と嘆願し、息子は「Remember thee!」と応じます。この短くも強く余韻を残す言葉の往復によって全てが始まり、物語は結末へと真っ直ぐに進んでいきます。以後父の亡霊は姿を見せぬものの、亡霊と交わした言葉はハムレットを強く縛ります。「イメージ」のありのままの描出を最終目的として掲げる和田真由子にとって、「イメージ」とは父王の亡霊と同じく、曖昧ながらも身を縛るほどの強固な力を持ち、そして和田を鼓舞し駆り立て続けるものとして、厳然と身の内に存在するものであるのです。つきましては、本状をご覧の上展覧会をご高覧賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。

敬具
2015年4月
児玉画廊 小林 健



記:

作家名: 和田真由子 (Mayuko Wada)
展覧会名: ハムレット
会期: 4月11日(土)より5月23日(土)まで
営業時間: 11時-19時 日・月・祝休廊
オープニング: 4月11日(土)午後6時より


お問い合わせは下記まで

児玉画廊 | 東京
〒108-0072 東京都港区白金3-1-15
T: 03-5449-1559 F: 03-5421-7002
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