拝啓 時下益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
児玉画廊|東京では3月3日(土)より4月7日(土)まで、田中秀和個展「Chaospective」を下記の通り開催する運びとなりました。
このように画面を構成的にも意味的にも複雑化させることで、自身のスタイルを獲得してきた田中ですが、前回の個展「Composite」(2010年児玉画廊, 京都)においては、思い切ってキャンバスを離れ、田中にとっては原点でもあるドローイングのみによる展示構成を見せました。結果としてペインティングよりもダイレクトな形でイメージの引用/反復、あるいは重層的な画面構成といったこれまで取り組んできた試みを、より端的な形で提示したことによって表現の変転を体系的に整理する契機となり、そのことが今回の新作に大きく影響を及ぼしています。例えば、大判の紙面上に、過去に制作したペインティングから特徴的な線描だけを抜き出して、極端に簡素な状態に削ぎ落として再構成した作品は、前述の「連続性」をより明確に示すものでした。単純にマーカーの線のみによって描かれたその画面は、これまでの田中のペインティング作品に見られた折り重なるようなマチエールもなければ筆触のダイナミックさもありません。しかし「複製」というプロセスを一つ挟む事によって、能動性と主体性を失った線描のみが只静かに紙上に浮遊し、フォームが作家の意識と行為から完全に独立しているような怜悧な印象を与えます。また、その他にも、複数の鉛筆を一気に握って即興的な線を描くと同時に何本もの「複製」された線が生み出されるという瞬間性と連続性を同居させる作品や、そうした不意に重なり合う線描が期せずして空間性を意識させるような構図を生み出すその瞬間を見逃さず、そこから連鎖してその空間性が発展していくように加筆する線描で視覚的コントロールをしていく作品など、あえて線で表現する事によってその意図と効果を簡素化し、田中自らが再認識するために不可欠な展覧会であったと言えるでしょう。
そして今回、そのドローイング制作を通して解析した自身の手法を再度ペインティグへと還元させる試みを見せています。全面を幾層にも覆ってきた重厚なレイヤーは影を潜め、フラットな下地に簡素な線描が間合いを計るように配され、そこへ絵具のドリッピングが偶然を装うかのように重ねられています。こういった簡潔に徹した表現でありながらも、田中のこれまでの作品がそうであったように音楽的な律動感や記号的な整然とした美しさ、運動性や身体性が作家の意図を離れてそのままフォームに変換されたような筆触、色彩や線の強弱/濃淡によってシンプルにコントロールされた遠近感や前後関係といった空間性、それらの特徴が全て包括されつつも、過不足のない、更に充足した印象を見るものに与えます。
田中にとって、抽象表現とは常に認識との対峙であり、イメージとは何か、フォームとは何か、時に記憶や感情、空間や時間、自意識や存在そのものについてまで思惟を広げ、必死に掴み取らねばなりませんでした。その軌跡が、初期におけるあくまで二次元的な範疇での「抽象化」作業から、線描や色彩の重なりによって空間性を獲得して三次元的意味構成へ、そして「連続性」という時間軸を得た現在の見地へ、という一連の変遷に見られます。それをもう一巡り咀嚼し直すことで何が見えてくるのか、今回の作品にはそうした新たな地平に客観的に身を置いてみたような意図的なものを感じます。「Chaospective」というタイトルからも、そのようにして自らが構築してきたものを一度解体し、等価に投げ込んだ混沌(Chaos)とした状態へ立ち返ることで、次に自分が絵画として表現しうる更なる上位次元の何たるかを見通す(Perspective)べく、自らに新たな挑戦を課そうという姿勢を読み取ることができるでしょう。
つきましては、本状をご覧の上、展覧会をご高覧賜りますよう何卒宜しくお願い申し上げます。
敬具
2012年2月
児玉画廊 小林 健