kodama Gallery
Gaku

Press Release

拝啓 時下益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
 児玉画廊|京都では5月9日(土)より 6月13日(土)まで、中野岳個展「Somehow the mosaic looks nice.」を下記の通り開催する運びとなりました。
 中野は2014年東京芸術大学大学院彫刻専攻を修了、現在は、公益財団法人野村財団による助成を受けてシュテュットガルド美術大学への留学、およびトーキョーワンダーサイトの二国間交流事業プログラムのサポートによってベルリンでのレジデンスの機会を得て、ドイツに活動拠点を移し制作を続けています。児玉画廊においては、グループショー「Super Body Maniac」(児玉画廊|東京)、「Super Body Maniac β」(児玉画廊|京都)において紹介し、今回が本格的な展覧会となると同時に作家自身初の個展となります。
 中野はプロジェクトベースの作品制作を続けており、主として制作のドキュメント映像とその行為の結果できたものを同時に展示します。自身の彼女をカタパルト(巨大なパチンコ)で飛ばしてキャッチするという試み「空飛ぶワイフ」(2014)、倒壊の恐れがある建物の取り壊し直前に、部屋の四方と四肢をロープでつないで、自らの体を揺らす事で建物の軋む音(=建物の悲哀に満ちた泣き声)を聞く「最期の音をきく」(2014)、車に単身素手で勝負を挑み破壊出来るか試す「Bubb-Re Car (バブリーカー)」(2011)など、自己と他者(或いは物)、そして両者を取り巻く環境とが織りなす関係性の中でのみ成立する「そこでしか起きない出来事」を想定してプランを練り、その「そこでしか起きない出来事」を成立させる(時には失敗して成立しないことも厭わない)為に、何らかのアクションを起こすことが中野作品の基本的なアプローチです。ここで思い出されるのは、1960年代のフルクサスから1990年代以降続くリレーショナル・アート (関係性の芸術)へと受け継がれていく一連の系譜であり、そして、そのリレーショナル・アートの 提唱者ニコラ・ブリオーは2009年のテート・トリエンナーレで「Altermodern Manifesto」を発して、その後継となる2010年代以降の動向をいち早く示唆しています。文化的、社会的に既にグローバル化されていることが当たり前の中で制作をするこれからのアーティストは、あくまで「西洋」文明に端を発するモダニスム→ポスト・モダニスムとは別に多起源多系統に発達する新たなモダニティに根ざしている、というものです。その観点から言えば、中野は既にそれを実践的に行っている一人です。これまでの制作活動において、いかに突拍子もないアイデアであっても独りよがりでいることはなく、常に関わる人々との対話を重ねることで、漸次起こる作品の予期せぬ変化をも楽しむようにしてきました。いわゆるリレーショナルなタイプの作品にありがちな、他者との文化や思想、言語的な相違そのものを取り上げるのではなく、既に相違は前提として受容した上での事なのです。だからこそ相違の先に生まれてくる「そこでしか起きない出来事」を作り出すことができるのです。ただ、中野自身「戦うことが好きだ」と述べているように、スポーツやゲームのそれにとどまらず、時に衝突や軋轢ともなり得るのですが、それをして新たな秩序とルールに則った関係性を自分と他者(或いは物)との間に作り出していくことが、中野の作品の根本にあります。オブジェクトとしての作品(行為の成果物)を中心点として、制作者としての中野岳、制作に関わった人や物、鑑賞者、無関係の第三者、社会、、、と思考が波及して行き、作品を多角的に読み解いていく面白さがあります。ブリオーは前述の「Altermodern Manifesto」で「行き先よりも軌跡を具現化する(…materialising trajectories rather than destinations.)」という制作スタイルを「旅」に準え、アーティストを”Homo Viator” (= 旅する人)と呼びましたが、中野においてもそれは同様に、行為の結果のみが提示されて作品となるわけではありません。何を「いかに」成したかという過程(軌跡)をこそ理解せねば中野作品の全容を知る事にはなりません。中野の作品で最も重点が置かれているのは、結果がどうあるかではなく、行為の過程に起きた事象の全て、さらに言えば相手が人であれ物であれ協働することによって結ばれる他者との関係性と、その関係性によってのみ発生する事柄の全てであるのです。
 今回の個展において、中野は「箱庭」をテーマにインスタレーションを構成します。「箱庭」は心理療法の一つとして、あるいは日本では古くからある趣味として良く知られたものである上に、造形的な面白さや深
層心理の表出という点で示唆に富むことから、格好の題材としてアートの文脈においてもしばしば取り上げられてきました。しかし、今回の中野の展示は、空間にただ物を配置して、その構成の意図やアレゴリーを判読させるというようなありがちなインスタレーションではありません。中野は、作家が作品を展示する行為を「箱庭」遊びのようだとして、その非言語的に表された作家の真意を展示から読み取らねばならぬ鑑賞者は作家よりもむしろ天才的な視座を求められるのだ、と、制作者と鑑賞者の関係性を独自に読み替えています。その上で、今回中野が試みるのは、箱庭を作ることが心理療法で言う所の言語化できない内面の表出であるなら、逆に、自分の中でアイデアとして存在すれども具体化できずにいる自分の思考を元に行動しながらその成果を配列し、一つ一つ関係付けていきながら、その結果としてできた空間を逆説的に「箱庭」と呼ぼう、ということなのです。鑑賞者である我々は、その投げ出された「箱庭」を懸命になって読み解く側に回らねばなりません。中野自身が理解できていないことに答えを与える、あるいは共に迷路に迷い込む、ということを覚悟して臨まねばならないのです。「答えのないピースでただ無造作に遊んでいるにも関わらず、目を逸らしたくなる状況に遭遇してしま うかもしれないということを認識して鑑賞してもらいたい」とは中野の弁ですが、「Somehow the mosaic looks nice.」と展覧会名に示している通り、モザイクの一つ一つの点だけでは無意味でも、集合になれば何かを隠すという役割を果たし、あるいは近くで見ると不明瞭でも距離をとればはっきりと具象性を示すように、鑑賞者の状況、心理状態、知識や思想、その他複雑な諸要素が関係性を作り出し、それらのシチュエーションに呼応するように作品は無限に意味を変えていきます。ひょっとして、それは何よりも魅力的な物かも知れないし、目を背けたくなるほどに酷い物かも知れないのです。
 展示準備期間中にスペース内で山羊を一頭飼育しながら、展示物の中を連れ回して山羊と共に作る映像およびインスタレーション「山羊に神話を聞く」、イカスミパスタを食べながら楽譜に向かってくしゃみをし、その譜面を見てピアニストが演奏するという作品「Out of sight, out of sight」、
吐瀉物を食べる道端のハトを見て考えた思考を作品化した「鳩とゲロ」など、一連の作品のコンセプトと空間構成によって作り出される「箱庭」を我々はいかに読み解くべきでしょうか。つきましては、本状をご覧の上展覧会をご高覧賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。

敬具
2015年5月
児玉画廊 小林 健



記:

作家名: 中野 岳 (Gaku Nakano)
展覧会名: Somehow the mosaic looks nice.
会期: 5月9日(土)より6月13日(土)まで
営業時間: 11時-19時 日・月・祝休廊
オープニング: 5月9日(土)午後6時より


お問い合わせは下記まで

児玉画廊|東京
〒108-0072 東京都港区白金3-1-15
T: 03-5449-1559 F: 03-5421-7002
e-mail: info@KodamaGallery.com 
URL: www.KodamaGallery.com


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