拝啓 時下益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
児玉画廊(京都)では、7月10日より8月14日まで宮永亮個展「making」を下記の通り開催する運びとなりました。
宮永は、自然や街の風景を撮影し、そこから見出される某かを映像表現、あるいはインスタレーション作品として発表しています。2009年に京都市立芸術大学大学院造形構想を修了後、同年に児玉画廊(京都)にて初個展「Wondjina」を開催し、その後は「アートアワードトーキョー丸の内2009」(行幸地下ギャラリー)、「ヤング・パースペクティブ2009」(イメージフォーラム)、「NEW DIRECTION 1 exp.」(トーキョーワンダーサイト本郷)への参加、現在はソウルの映像展「move on asia 2010」において「Wondjina」を出品しており、国内外に活躍の場を広げています。今年の4月に児玉画廊|東京で開催した最新の個展および、同時期に開かれていた「きょう・せい展」(@KUA,京都)において発表した8チャンネルの映像インスタレーション「地の灯について」を新たに再構成して発表します。
実写映像に綿密な加工/編集を施す事で洗練し、自然の持つ根源的な美しさに肉薄しようとした前作「Wondjina」とは対照的に、「地の灯について」は人工物の象徴として明りが灯る夜街を幾度も撮影し、それらの映像素材を何重にもオーバーラップさせるといった編集を加えながらも、作り込むと言うよりはラフさから生まれる多様性をベースにした作品です。4月の東京での個展では、全てを一つに重ねたメインの映像とその素材の映像からなる合計8つの大小異なる画面を空間内に一斉にプロジェクションしました。空間内を取り巻くように四方の壁を同一方向に映像が流れ、車載カメラで撮影した為に生じた各画面のランダムな揺れと相俟って、同時多発的な視覚情報に感覚が翻弄されます。さらに工事現場や車のエンジン音など、そのままの町の騒音が次第に混ざり合い増幅され、空間を轟音で満たしていきます。ただの夜景が光に形を失いながら轟々と唸りを上げていく様は、見る者に感覚を奪われたような麻痺感、あるいは陶酔感を与えます。「Wondjina」と「地の灯について」の対比から見えてくるものは、美しさだけを濾過する行為と、粗雑なものを凝集させる行為とが真逆のアプローチながら結論としてある一つの回答を導くのではないかという予感、そして映像という方法によってこそそこに迫ることが可能だという宮永の確信への裏付けです。
今回京都のスペースでは1、2階の両方を使用し、空間の特性に応じてより多元的な展開を新たに獲得しようという試みがなされます。「地の灯について」は、8チャンネルの映像ソースを使用していますが、必ずしもそれが一つの視野に収まるように規定されている訳ではなく、本来、映像ならではのサイズ可変性、素材が複数あることで生まれる組み合わせのバリエーション、それらを構築する事でその都度一つの完結した空間を創出させる事を志向していると言えます。映像の内容自体に加え、プレゼンテーションのレベルにおいても複雑で幾つもの可能性を内包する事は、前述の「Wondjina」との対比においてその意義をより明確にするものです。
つまり、手を尽くし完遂されたものとして「Wondjina」を位置付けるならば、「地の灯について」は宮永の制作の行為そのものを記録したドキュメントなのであり、舞台裏から見るメイキングビデオのようでもあります。自身の作品制作も含めた人の営み、それらを全て内包し一つの光と音の塊として空間に収束させた本作品を通じて、宮永が如何に世界の根源に迫ろうとしているのかを示します。
つきましては本状をご覧の上、ご高覧賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。
敬具
2010年7月
児玉画廊 小林 健