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ご案内
関係各位
拝啓 時下益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
児玉画廊(白金)では3月10日より年4月7日までignore your perspective 40「用途」を下記の通り開催する運びとなりました。これまでのignore your perspectiveでは、作家のものでも観客のものでもない、ギャラリーから提示する新しい視座というものを強く意識した企画展シリーズとして継続してきました。本展は、大谷透と貴志真生也による二人展として構成されますが、二名の作家間において双方の作品認識をお互いにつまびらかにした上で、共通点やそれぞれの特異点を作家同士ならではの感性から浮き彫りにし、別の視座を得ることを目的とした対話を経て構成されます。ギャラリーの企図において二名を並べて見せるというものではなく、そこに作家同士の能動的な意見交換を介在させることが、今回のignore your perspectiveとして見出そうとする新しい視座であるといえます。
大谷透は、既成品に見るイメージ、例えば商品パッケージのロゴマークや規格品の適合表示など、既に意味や役割を持ったイメージに対して手を加えていくというアプローチで作品を制作しています。その対象は文字でも図案でも、場合によってはオブジェクトそのものでもよく、しかし、大谷が「いい」と感じるデザインがなされているかどうかが唯一のフィルタリングとなって選別されます。大谷が好んで使用しているものにサンドペーパーの裏面があります。サンドペーパーの本来的な用途からすれば、裏面は全く注視されないはずの部分ですが、各メーカーのユニークなロゴマーク、商品番号や、目の粗さを示す規格表示など、実にさまざまな情報が大量生産品らしく効率良く形式化され印刷されています。まるでパターン図案のように一枚の中に重複して現れるそれら情報の無機質な繰り返しが、大谷にとってはイマジネーションのトリガーとなっているのです。大谷は、そういったパターンやルール、法則性など、既製品としてデザインされているからこその規則性の中にあるちょっとした隙間や綻びを拾い上げて独自の作品へと変貌させていきます。主に使用する画材は色鉛筆で、サンドペーパーの作品でも同様です。印刷された図案や文字・数字などの図形的特徴を利用しながら、色鉛筆による塗りつぶしと塗り残しを巧みに行いながら画面を構成していきます。本来の図形や文字等が持っている役割や意味を一切無視して、単なる形、線のきっかけとして捉えることで、思いもよらぬ景色が生み出されていきます。色鉛筆を細かく丹念に塗り重ねていく過程は、たとえA4程度の大きさのペーパーであっても気の遠くなるような手数を必要とします。しかし、その細かな作業に没頭する中で、ふと偶発的に導き出される面白い形を起点に新たな展開が繰り返されていくため、この不便とも思える行程こそが大谷の独自性を支える必要かつ重要な点となっているのです。
貴志真生也は、木材や発泡スチロール、ブルーシートなどの、「美術素材」というよりは「工業資材」とも思えるものを組み合わせて構成する彫刻・インスタレーションの作品を発表してきました。時に作品の規模は想像を絶する大きさに伸展することさえありますが、作品の大小に関わらず、その特徴的な軽やかさは貴志作品の最もユニークな点です。彫刻であることの根幹は、Mass:量塊、Volume:量感、Balance:均衡、Movement:動勢、などの観点から捉えた物体の存在を素材の中に同定することにあります。よって、彫刻作品は、実際に触れずとも質感や重量感や存在感が際立つものとして作られている場合が圧倒的多数を占めます。その点からすれば、貴志の作品はいずれも、オーソドックスの逆方向に向かっています。例えば、初個展(2009年、児玉画廊)の作品「リトル・キャッスル」は、およそ13m四方と4mの高さの空間容積を極限まで使い切る一点の巨大な彫刻であり、インスタレーションでした。こうして文字で説明すると、いかに壮大なものかと想像するのですが、実際の作品は、圧倒的規模であることは疑いようのないことながら、それに反して異様なまでにボリュームの無さを感じさせる、まるで「見たことのないもの」としてそこに現れていました。サイズはある、けれどもボリュームが無い、という矛盾するような事実を目の当たりにする衝撃は、既存の巨大彫刻を見て感じるそれとは全く質の異なる体験でした。長尺の六割(むつわり)木材という一般的な木造建築資材がシンプルな三角板で直角に接合された大きなキューブを中心として、延伸増築した巨大な城塞のような風体でありながら、視界を遮る壁面的な要素は一切ありません。あるとすればブルーシートを木材に貼り付けたヒレのような装飾的要素、あるいは、緞帳のように吊り下げられた背景的な大判のブルーシート程度です。奇妙なまでにすっきりとした骨組みだけの空虚な城塞は、従来的な彫刻が「肉」であるならば、貴志の作品は「骨」あるいは「皮」であることを明示していました。それと同時に、意識的に規格材や未加工の工業資材を転用することで、規格、という利便性と効率を追求した強固なフォーマットが素材側に予め存在することによって、貴志は自身の彫刻家的手仕事をひとまず傍に置いておくことにしたのです。積極的に彫るでもなく、切るでもなく、すでにある造形を利用し、規格システムに合わせて新たなる造形を組み立てていく、しかしその成果は恐ろしく未知の造形であるのです。
作家同士の対話の中で、お互いの作品に見られる共通項として、作品の中で述べるべき主題が一つではなく、様々な「重ね合わせの状態」が露見していること、という見解がありました。貴志の作品では、ブルーシートや木材を敢えて彫刻素材として扱うことの企図、規格材のフォーマットや製品としての使途・機能などの規制・制約を逆手に利用していること、など、意図やコンセプトがそもそも多層的であるのに加えて、作品の構成要素として各素材を組み合わせる際にもそれぞれの素材としての特徴を消さずに異素材同士がまさに視覚的なレイヤーを作り出していること、最終的にそれらが内面的にも外観的にも多重の「重ね合わせの状態」になっていることが、貴志のユニークさの所以であるのです。大谷の作品では、既存のイメージ(図、文字、色彩、素材など広く含む)がまず最下層の下地として存在し、それが色鉛筆の密な塗り重ねという極めて絵画的な行いによって上書きされ、その過程の中で独自のルールや法則を作り出していく偶発性、そして貴志同様に、オーソドックスから大きく外れたサンドペーパーなどの素材選択は絵画としては能動的な逸脱を感じさせます。このように多視点的な制作意図を一点の作品内に「重ね合わせの状態」として示すという点は、大谷と貴志がそれぞれ作品の方向性は違えていながらも、奇妙な符合を見せる面白い観点であると言えます。
この点において、タイトルにある「用途」とは更に示唆を与えます。「用途」、つまり何かを用いること、その何かの使い道を探ること、それは、道具や物に役割を与えて使役する行いを想起させる言葉です。大谷も貴志も、彼らが使役するのは道具や物それ自体ではなく、そこに付随し、予め与えられていた役割や意味の方です。いうなれば「用途」の「用途」を思考し、選択し、「重ね合せ」る作家であること、それが今展覧会で両者の協業によって示され、ひいてはそれぞれの作家に対する新たな解釈が拓かれる一助となることを期待せずにはおれません。
つきましては、本状をご覧の上展覧会をご高覧賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。
敬具
2018年2月
児玉画廊 小林 健
展覧会名: | イグノア・ユア・パースペクティブ40「用途」 |
出展作家: | 大谷 透 / 貴志真生也 |
会期: | 3月10日(土)より4月7日(土)まで |
営業時間: | 11時-19時 日・月・祝休廊 |
オープニング: | 3月10日(土)午後6時より |